僕と記者クラブの12年史

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僕と記者クラブの12年史

名古屋市長選に絡んで記者クラブとの関係について聞かれることが多くなり、ちょうど愛知県政記者クラブとの内々の交渉が決裂したこともあり、以下にこれまでの経緯をまとめました。なんせ12年近くもこんなことをしてきているので長くなりますが、今回の市長選に至る河村市政の流れやトリエンナーレ、コロナをめぐる愛知県の対応なども浮かび上がってくるかと思いますので、よろしければご覧ください。

*  *  *

2008年8月 関口が中日新聞社を退社。環境、防災などをテーマにフリーとして取材・執筆活動をスタートする。

2009年4月 名古屋市の河村たかし市長が初当選。減税・議員報酬半減のほか、市内の里山保全にも積極的に乗り出す。関口も主に現場で取材を重ねる。

2009年9月 マンション建設計画が持ち上がっていた「平針の里山」問題で河村市長が開発業者と反対派住民を市長室に呼んで意見を聞く場が設けられる。関口も事前に情報を入手して取材を試みるも、市長室前で市の広報職員から「記者クラブ加盟社以外お断り」と言われシャットアウト。押し問答の末、幹事社(中日)の配慮で入室できる。

2009年10月 関口が初めて名古屋市長定例会見に参加。会見を主催する名古屋市政記者クラブからオブザーバー(立って傍聴するだけ)参加の了解は得ていた。ただ、民主党政権となって国会で記者会見の開放が進んでいた流れもあり、質問不可の掟をあえて破って後方から「市長!」と挙手すると、「あんたは何だ!」と広報職員に制止させられる。幹事社がその場で各社に諮り、異論は出なかったため関口が質問を続ける。

その後、市政記者クラブに宛て、市長会見への質問権を伴う参加と、それに準じる市側の会見や討論会などで「加盟社以外お断り」とされないためのルールづくりを求める要望書を提出する。市長会見はオブザーバーとして参加を続ける。

名古屋市長選に初当選した2009年の年末、12月28日に市政記者クラブ主催の会見に臨む河村たかし市長。関口はオブザーバーとして参加

2010年4月 半年がかりの議論の末、市政記者クラブの規約が改定され、フリーランスは「準加盟社」扱いとして会見参加も認められる。以後、関口が正式に質問権を伴って市長会見に参加。当時関わっていた週刊誌やネットメディア、書籍に取材の成果を反映する。Ustreamによる生中継も数回試みる。

2010年6月 愛知県政記者クラブにも市政と同様の開放を求める要望書を他のフリー記者と連名で提出する。

2010年7月 『週刊金曜日』に記者クラブ問題の顛末について寄稿。

2010年8月 河村市長が主導した市議会に対するリコール(解職請求)署名活動始まる。

2010年12月 市議会リコール成立。

2010年12月20日、自ら仕掛けた市議会リコールの署名活動をめぐり辞職届を提出する河村市長。当時の市議会議長は今回2021年の市長選に河村市長の対抗馬として立候補した横井利明氏だった

2011年2月 愛知県知事選、名古屋市長出直し選、市議会リコール住民投票の「トリプル選」実施。大村知事・河村市長の「ムラ・ムラコンビ」が圧勝、市議会も解散へ。関口は当選直後の各メディア共同記者会見で大村知事に「これまでの知事定例会見は月に1、2回程度だった。大村さんはどうするか」と質問。大村知事は「私なら毎週やりますよ」と答え、実際に定例会見が毎週開かれるようになった。

2011年3月 東日本大震災発生、関口はNPOの派遣スタッフとして発生直後から約3週間、東北で活動する。

2011年4月 大村知事定例会見(愛知県政記者クラブ主催)に関口の参加が認められ、県の震災対応について質問する。

2012年2月 河村市長会見に関口が参加。南京大虐殺を否定する市長の発言が国内外に波紋を呼び、香港のテレビクルーも参加、質問していた。

…以後、定例会見には年に1回程度の参加になったが、関口はこの年から環境専門紙の編集長となり、主に県・市の環境部局に対し取材を継続。その他の部署にもネットメディアや経済誌への寄稿で随時、個別に取材をするようになった。ただ、市政の流れやトップの考えを確認するため、市長会見への参加が必要となることは少なくなかった。ちなみに震災以来、フリーランスや雑誌記者にも開放された中部電力の社長会見には2021年現在も継続的に参加している。

2016年1月 関口が「なごやメディア研究会(なメ研)」を立ち上げ、月1回の勉強会などで名古屋エリアのフリー記者やカメラマンらと交流・連携を深め始める。なメ研は18年6月に一般社団法人化。

2019年8月 あいちトリエンナーレ問題で大村知事会見への参加を県政記者クラブに打診。しかし、過去(2011年)の会見参加は「特例扱い」だったとの記録があり、現在は有効ではないとして正式参加を拒否される。結局オブザーバー参加し、終了後に大村知事に「ぶら下がり」で取材。その内容は2014年から契約ライターとして寄稿しているヤフーTHE PAGEの記事に反映した。

2019年9月 県政記者クラブに対し、フリーランスの質問権を伴う参加、県政取材での取材機会確保への協力、総会での意見交換などを求める要望書を提出。

2019年12月 なメ研がヤフーと正式契約し、THE PAGEの動画中継を含めたコンテンツ提供をスタート。初回は市政記者クラブに申請して、正式に河村市長定例会見を生中継した(下の動画)。しかし、終了後に記者クラブ内から異論が出て、次回からの参加は保留に。関口は市政記者クラブ宛てにあらためて要望書を提出。県政記者クラブにも9月提出の要望書をベースに、動画中継を含めた参加を申し入れる。

2020年1月 市政記者クラブが生中継ではなく録画配信(会見終了後の配信)の条件で参加を認める。県政記者クラブに対してはヤフー担当者を東京から招き、意見交換会を開催。しかし結論は出ないまま、コロナ禍が拡大したため一時“休戦”状態となる。

2020年3月 コロナで都道府県知事の対応に注目が集まったことも受け、知事会見の生中継を特例的に認めてもらうよう、県政記者クラブにあらためて申し入れる。その際、官邸や東京、大阪では認められ、愛知ではなぜ認められないのか、明確で合理的な理由と、認められるための条件(幹事業務や金銭面など)を示すよう求める。ヤフー・なメ研側としてはできる範囲で業務負担や金銭負担をする意思のあることも示す。

2020年4月 コロナ対応で頻繁に開かれるようになった大村知事の臨時会見(県主催)の中継参加を県に申し入れ、4月の緊急事態宣言を前に、録画(生NG)を条件として認められる。

2020年5月 コロナで県民・市民が一刻も早く、リアルタイムで行政の対応を知りたいとの思いを感じ、県と市、県政記者クラブと市政記者クラブに継続的に生中継の許可を求める。しかし一向に認められないまま、知事の「ぶら下がり」会見で質問した録画内容の削除を県広報から求められ、抗議の意を込めてヤフー「個人」にありのままを執筆する。

5月下旬、再びヤフーの担当者を東京から招き、市政記者クラブで意見交換会を開く。

2020年6月 それまで「録画であっても参加を認めない」としていた県政記者クラブの中で、一部の社から疑問の声が上がり、録画での参加が初めて認められる。

2020年7月 市政記者クラブから「加盟社の3分の2以上の賛成が得られた」として市長定例会見での生中継が認められる。以後、市政では原則「生OK」となる。

2020年8月 2度目の緊急事態宣言発出かというタイミングで、それまで県が全メディアに対して認めていなかった知事臨時会見の生中継を複数のテレビ局が強行したことから、以後(下の動画以降)は臨時会見の生中継が事実上認められる。

2020年12月 その後も依然「生NG」とされる知事定例会見について、県政記者クラブと交渉を続けるも「反対の社が一定数ある」との理由で認められなかったため、その理由の開示と、参加申し込み手続きの簡素化を求める要望書を提出。クラブとして統一的、合理的な理由が示されない場合、不可とする社と個別に話し合いをしたいと申し出る。ヤフー・なメ研側からはあらためて、クラブ運営への貢献として記者クラブのIT化支援などをしたいとの提案もする。しかし、もしこれ以上議論の余地がないとのことであれば、内々の交渉では限界があると受け止め、外部への申し立てなどを行う旨も伝える。

2021年1月 県政記者クラブから、クラブとして統一的な見解は示せず、個別の話し合いや手続きの簡素化にも応じられないとの回答が示される。

…その後、コロナ第3波の拡大やリコール署名偽造の発覚、あるいは「3・11から10年」の節目などもあり、交渉は再び中断状態となる。

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上記のまとめはあくまで僕の視点であり、反論・異論も当然あるでしょう。僕自身も至らない点や強引だった点は多々あったと反省しています。その上で、これまで僕の立場を理解し、多忙な取材や日常業務の間に尽力してくれた記者・関係者の皆さんには心から感謝を申し上げます。

しかし、これまでで一番ショックだったのは、一度は門戸を開いてくれたと思っていた県政記者クラブが実は「特例」として認めていただけで、また門を(しかも今度は頑なに)閉じてしまったことです。こんなことが次の世代に引き継がれないよう、今度は最後まではっきりと決着を付けたいと思っています。よろしくお願いします。

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